もちろん実際の危険性はほとんど無い。頭では理解していた。
それでも身体は「まずい」と判断した。
それは “胃カメラ” のことだ。
初めてだった。しかも担当医からは「できるだけ早く検査を進め、そのまま手術へ」と告げられ、鎮静剤無しの予定で組まれていた。流れに身を任せた結果だった。後から看護師さんに鎮静剤の可否を尋ねたが「もう難しいですね」と言われ、そのまま当日を迎えた。
検査室で技師が「頑張りましょう」と言った瞬間、妙に冷めた気持ちになった。
——頑張る必要があるのか。
最初の挿入は喉で止まり、えづき、心拍が跳ね上がり、中断。
理屈では安全だと知っている。それでも身体は拒絶した。喉に異物が入るのだから当然だ、と頭が解説する。その解説とは別に、身体は「死ぬ」と判断していた。
二度目でようやく通過した。そこからは、ただ苦しさをやり過ごす時間だった。この瞬間に一番欲しかったものは何かと問われれば、迷いなく「鎮静剤」と答える。
物語の中では、何度も “死” を描いてきた。
だが喉に管が入るだけで、身体は本気でそれを拒絶する。
死そのものよりも、その手前の反応のほうがよほど生々しい。
安全圏にいながら「死ぬかと思った」と感じる。それでも、あの瞬間に身体が示した反応は、どこかに跡を残した。
頭より先に、身体の反応。
少なくとも次は、鎮静剤を希望するだろう。
理屈ではなく、身体の判断として。